ユニセフによる解説。アフガニスタンという国の成り立ち

Last Updated on 2025年2月12日 by nekoto

アフガニスタンは南アジアから中央アジアに掛けて位置する、共和制を採用している内陸にある国です。

土地面積は約65万km2で、人口は約3,000万人と日本の4分の1くらいの規模となっています。

人口密度が1km2あたり50人弱と少ないですから、日本よりも土地が広く感じられたり、広々とした印象を受けるでしょう。

 

場所によっては水資源がある

ただ、海はなく池や湖が限られているので、水資源に乏しく乾いた乾燥地帯というイメージが強いです。

実際に砂漠地帯と面していますから、乾いている土地は少なくありませんが、実は川が流れているので場所によっては水資源があります。

紀元前3000年頃には、農耕文化の発展や恩恵を受けていたほどなので、決して農耕と無縁というわけではないです。

むしろ、早い段階でメソポタミアやインダス文明と接点を持っていたことから、様々な文化流入や発展があったと思われます。

 紀元前2000年頃の様子は、ムンディガクやデー・モラシ・グンダイといった遺跡である程度分かっています 

当時は青銅器時代で、主にバクトリア地方で石製女性像の出土が確認されました。

紀元前も2桁になると戦争が起こり、バルフからパンジャブに侵攻が行われたと見られます。

 

度々戦争に見舞われたアフガニスタン

以降はペルシャやギリシャにインド文化の発展が進み、アフガニスタンも文化交流の拠点の1つとして大きな変化の波に飲み込まれます。

度々戦争に見舞われ、幾度となく混乱に巻き込まれていますが、西暦の時代を迎えると少しずつ方向が変わって行きます。

1世紀にはクシャーナ朝が繁栄をもたらし、逆にギリシャ文化が影響力を失います。

代わりにインド文化の流入と仏教の影響が見え始め、しばらくバクト商人がシルクロード交易を支配するようになります。

3世紀の終わりには王朝がサーサーン朝に取って代わり、8世紀以降はイスラム化が進みました。

西暦1000年前後までアフガニスタンでは変化や混乱は続きますが、10世紀に栄えたゴール朝は繁栄して、当時造られたモスクは今でも残っています。

 

西暦1200年以降は侵攻を受けて王朝が滅亡する

北インドを服従させる事業を進め奴隷王朝を築き上げるなど、貪欲に支配する意欲を見せますが、西暦1200年以降は逆に侵攻を受けて王朝が滅亡するなど皮肉です。

そこからはモンゴル帝国時代やティムール朝時代、オスマン帝国の抗争といった時代を歩みます。

アフガニスタンの統治が進んだのは1709年に誕生した、ホータキー王朝時代以降のことです。

この後も戦争は続き、王朝が消滅しては新しい王朝が誕生して取って代わる、そんな混沌が繰り返されてきました。

1800年代前半には、イギリスとの間で第一次アフガン戦争が勃発、そして勝利の結果を手にしています。

1880年に第二次アフガン戦争が起こりますが、この時はイギリスに敗北して保護国となります。

 

1926年にアフガニスタン王国と国名を変える

イギリスとの戦争は1919年の第三次アフガン戦争まで続き、2度目の勝利を手にして独立を勝ち取りました。

勝利を収めたアマーヌッラー・ハーンは君主を名乗り、即位して1926年にアフガニスタン王国と国名を変えています。

第二次世界大戦時代は、日本とドイツの枢軸国でもアメリカやイギリスの連合国でもなく、中立を貫いて間に立っていました。

冷戦時代に突入すると、アフガン南部のバルチスタンはパキスタンからの軍事的な圧迫が起こり、対抗することが難しく軍事併合される形となります。

アフガニスタンも併合されそうになりますが、当時の国王ザーヒル・シャーは逆に、パキスタン領のパシュトゥーン人を支援して独立運動で牽制しました。

国名が現在のもののベースになったのは、旧王族がクーデターで国王の追放を行い、共和制を宣言した後に大統領に就任した1973年のことです。

 

現在のアフガニスタンをユニセフはどう見ているか?

社会の近代化と軍事近代化を目的として、当時のソ連に接近しつつイスラム主義者の弾圧を行いました。

1978年の軍事クーデターで社会主義政権の樹立と民主共和国の国名変更、1970年代後半~1980年代まで続いた内戦と、近代まで混沌は続きます。

このように、アフガンは長きにわたって不安定な状態が続いている地域で、国民の平穏な暮らしもままならない状況です。

2001年のアメリカ同時多発テロ以降は、テロとの戦いが余儀なくされていますから、比較的平和な日本からすると悲惨に見えます。

政治体制は度々変わり、国のトップも頻繁に入れ替わるので、安定性に欠ける国なのは間違いないでしょう。

しかし、長い歴史と独自の文化を持っているのは確かですし、時代によっては平和で自由だった頃もあります。

現在は国民の9割がイスラム教徒なので、お酒の取り扱いに制限があり、食文化に偏りと独自性が存在します。

 

まとめ

以前は飲酒文化があってアルコールが充実していましたから、時代の変化と共に大きく変わった一例だといえます。

スポーツはイギリスからもたらされたクリケットが人気で、プレミアリーグが開催されたほどです。

立派な遺跡の世界遺産もありますし、音楽も独自の発展を見せていますから、文化的に魅力がある国です。

日本とは地理的な距離があって遠い国ですが、支援をしたり全く無関係ではないので、今後の安定に向けて目が離せないです。

日本ユニセフより引用